本木 リヨ子さん

 各地でウルトラマラソンが盛んな昨今、佐渡一周もそのうちにあるだろうと期待していたら、エコ、ジャーニーの今回の企画が立ち上がった。

 申し込み後に送られてきた資料の中にはB5サイズの佐渡の全体図が入っていただけだった。島一周道路があると聞いていたので、
これで十分なのかと軽く考えていたら、9月15日(金)、受付で25ページにも及ぶ2万5千分の1の地図が渡された。
 さぁ大変だ。このままでは読みにくい。ただでさえ「地図が読めない」「老眼も始まった」「夜は一人じゃ走れない」と、三重苦を背負った私は、
宿の部屋に入るなり地図の色塗りを必死で始めた。同室の関涼子さんのカラーペンを借りて、コース、距離、エイド、注意箇所などを色分けした。
地名にも色塗すると立体的に読み易くなることは「トランス・エゾ」で学んだので細かい字の読みにくい私には不可欠な作業だ。こうしておくと、
町のあちこちに「ここは○○町」と看板があるので、自分の位置を確認するのに役立つ。
 説明会後の夕食を兼ねた懇親会では、参加者、スタッフ約60人の自己紹介がされた。その後部屋に戻り明日の準備にかかった。道中必要
な物は全て自分で背負わなければならない。雨具、ライトは勿論、途中温泉付の仮眠所に立ち寄ることも考えると荷物は更に増えた。

 9月16(土)4時起床。4時30分朝食。5時10分、宿のバスにてスタート場所のおんでこドームに向かう。6時スタート。警察からの指示により
7〜8人ずつ数10秒間隔でスタートした。道幅一杯に広がるのを防ぐためだろう。島一周道路を左回りに海を右に見ながら走る。両津の町は
あっという間に過ぎ、あとは小さな集落が時々現れる。30kmまでは地図を見なくても迷うことはない。30km毎にあるエイドでおにぎりを食べ、
水を補給して、クリームパンを貰って出発した。二ツ亀の辺りからは地図に導かれ遊歩道に入った。残り咲きのハマナスの花がかつて見たことも
無いほど深紅に妖しげに咲いていた。カメラを持たずに来た事が悔やまれた。石畳を敷き詰めたような遊歩道の突き当たりに、何か異様な空間が
見えてきた。赤い風車と小さなお地蔵さんがびっしりと祀られた賽の河原だった。その辺りから私は、脚全体が痺れて走れなくなっていた。原因が
スパッツにあるのは明白だった。膝に故障があったので、関節や筋肉を保護するというサポーター付のスパッツをこの日のために買ったのだが、
試し履きもせずに履いてきたらサポーターが強すぎて、膝の裏が痛くてたまらない。我慢していたらそのうち脚全体が痺れてしまった。90.5kmの
仮眠所で入浴後に履き替えようと思っていたが、このままでは其処に辿り着くことさえ危うい。50km辺りに広いトイレがあったので、我慢出来ずに
履き替えた。

 午後3時、60kmの第2エイドを過ぎた頃から私の頭の中は夜間を誰といかにして走るかを考えていた。出来ることなら仮眠は取らずに走りたい。
スタート前に馴染みのある数人に聞いてみた。小川さんも、岡村さんも休まずに行くと言う。しかし私がスパッツに悪戦苦闘している間に彼等は
とっくに行ってしまった。ここから先、次の第一仮眠所に着くまでに、夜の道連れを探さなければならない。朝スタートしてから此処まで同じペースで
走っている増井さんに仮眠をとるのかを尋ねた。彼は、お風呂に入って食事をして、2時間ほど寝るつもりだと言う。妥協できる範囲なので3時間後の
スタートを約束した。午後7時、温泉つき第一仮眠所に到着。汗を流しテーピングを取替え、マッサージクリームを塗って、配られたお弁当を食べた。
おそらく眠れないだろうが横になるだけでも身体が休まるかと、しばらく横になったが目が冴えてしまい、メールを打ったりして時間を待った。

 午後10時、増井さんの走友、大川さんも加わり3人でスタートした。しばらくはのんびり歩いたが「そろそろ走りましょうか」と促して走り出した。
たいしたスピードではないが、やがて1組2組と先行していた人達に追いついた。「こんな走りでも結構追いつくものだね」と言った大川さんの言葉が
とても印象的だった。確かにそうだ。これがウルトラ後半の走り方の妙技かもしれない。歩いていては縮まらない距離が、ほんの少し走りを入れる
だけで見えなかった相手が見えてくる。そうすると新たな力も涌いて来るというもの。

  9月17日(日)日付が変わった。
 コースは島一周道路の45号線だけを走ると思っていたが、佐和田の第二仮眠所からは350号線を真野方面に向かった。時々雨が降っては止み、
何度かビニールポンチョを着たり脱いだりを繰り返した。夜も更けるに連れ彼等を睡魔が襲う。2度ほどバス停の小屋で10分位休んだ。2度目の
休憩の後、大川さんが「先に行ってくれ」と言う。走力が同じでも疲労や眠気に対するバイオリズムは同じではない。眠気に関しては徹夜走の経験の
多い分、私の方が2人より慣れているといえるだろう。女性なら置き去りには出来ないが、屈強な男性なので「すぐ追いついて来て下さい。」と言って
増井さんと2人で先に出た。
 120km過ぎの弁天岩の辺りからは350号線を外れ、でこぼこの真っ暗な道に入る。ここが今回の旅の最も注意すべき箇所だ。かなりの人が此処
を間違えたようだ。説明会で「車1台がやっと入れる程のでこぼこの道」と聞かされていたので、此処で間違いないとは思うが、本当に大丈夫なのだ
ろうかと不安だった。ちょうど前後して走っていた村尾さんご夫妻と4人で「すごい道だね」と言いながら、道幅いっぱいに出来た水溜りを避けるため、
道をふさぐように垂れている葦を背中とお尻で押しのけながら横歩きで通った。4人でも少々緊張するような道だった。2〜3kmで悪路は抜け、
広い道路に出た頃、空が白んで来たのでライトを消した。

 すっかり明るくなった頃、増井さんに変化が現れた。彼は私に比べあまり食べない。すぐ胃に来るのだと言う。水分を採る回数も私より少ない。
少量ずつでも採る回数を増やした方が良いのかもしれない。しばらく苦痛に耐えていたようだが、申し訳なさそうに「少し休んで行きますから
先に行ってください。」と言う。おそらく待たれるのが心苦しいのだろう。その気持ちは十分分かるし、少し後に彼のチームの人達が来ている事は
分かっていたので、夜中に伴走して頂いたお礼を言って別れた。

 一人になってからは、村尾さんご夫妻と抜きつ抜かれつしながら進んだ。彼等の前になっては道を間違え、戻ると彼等はいつの間にか前を走っている。
そんな事を何度か繰り返した。無駄な労力を使わず、黙って彼等に付いて行くほうが得策かも知れないとも考えたが、何の為に地図を持っている
のかと自分を戒めた。夜中ならともかく、明るい時は少しでも自分で地図を読まなければ持っている意味がない。静かに動き出した佐渡の朝。
早朝から田畑で働く人や道行く人が「ご苦労さん」と声かけてくれる。生まれ故郷にどこか似た景色の中を、こうして夜を徹して走っている自分を、
幼い頃の自分がどこかで見ているような、そんな不思議な感覚の朝のひと時だった。これも一つのランニング・ハイの状態なのかもしれない。
 そうこうしているうちに再び一周道路に出た。137kmの第3エイド、記録をつけなかったので定かではないが、午前7時頃だろうか。ここからしばらくは
迷う事もなさそうだ。宿根木集落や千石船博物館といった佐渡の文化の息づく町を過ぎる。「ぜひ立ち寄ってみてください」とスタッフお薦めの千石船博物館
だが、まだ開館前だった。やがて辛そうに歩いている男性を追い抜く。そして小木港の手前ではゼッケン1番の若者に追いついた。この町はたらい船で
有名な所でなかなかにぎやかな町だった。しばらく若者と連れ立って行くが155km辺りで先行する。赤泊の港を過ぎ、いよいよ頭の痛い場所に辿り着く。

 164kmの第4エイド。ここが最後のエイドだ。本来は170km地点にこのエイドは予定されていたが、途中に通行止めの箇所があり、迂回しなければ
ならないため、迂回路の入口にエイドを移したのだ。この迂回のため距離は5km延び、全行程は211kmになってしまった。延びた5kmと本来通るべき
距離をプラスして9kmの山道を行くことになる。私の頭の中には昼でもうっそうとした寂しい山道のイメージが膨らみ、またしても道連れを探さなければ
と考えていた。12時頃エイドに着くなり、スタッフの菅原さんに、私の前の人は何分位前にこのエイドを出たのかを尋ねると、30分以上前だと言う。
追いかけるには無理がある。諦めて、腰を下ろしてゆっくりおにぎりやパンを食べながら後から来る人を待った。しばらくの後、男性ランナーがやって来た。
ゼッケン1番の若者かと思ったら、その前に抜いてきた辛そうに歩いていた人だった。辛そうな歩きの原因は股擦れだったらしく、彼はエイドに着くなり
菅原さんと股擦れの話に花が咲き、なかなかスタートする気配をみせない。共感できる話題でもないので、私は思い切って一人で出掛ける事にした。
どうせ一人で行く羽目になるのならもう少し早くここを切り上げれば良かったと、自分の優柔不断さを恨めしく思った。

 山道は、4kmほどは心細い上りが続いたが、途中にある丸山の集落は、のどかな山里で、秋の花がここそこに咲き乱れ、黄金色の田んぼが広がっている。
どこか中国の桃源郷の話しに出てくる隠れ里の雰囲気が漂っていた。田んぼといえば佐渡には思いの外田んぼが多い。そしてその稲田はやけに美しい。
黄金色というよりレモンイエローに近い色で輝いていた。驚いたことに海のほんの際にまで稲が植えられている。引いている水は海水じゃないかと思える程だ。
おにぎりにしたら何もつけずとも塩むすびになりそうだ。丸山の集落を過ぎ、下りの途中でブロックの上で寝ているランナーを発見。私の前にエイドを出発
した人だろう。黙って追い越すのも失礼かと思い手を上げて挨拶する。疲れ果てて寝ているのかと思いきや、後から足音がしたかと思ったらアッと言う間に
抜いて行った。迂回路は多田に抜けて一周道路に戻った。午後2時頃だろうか。

 ここからは残り37kmでゴールだ。明るい内に着きたいと思っていたがどうやら無理のようだ。だが後は一周道路一本で行ける。地図を見ても不安箇所
はない。いくつもの集落に入っては抜け、カーブの多い海岸線をしばらくはのんびりと行く。少し安心したのか地図の見方もぞんざいになっていた。
仏崎遊歩道を、4km先のはまなす遊歩道と勘違いした事も後で気がついた。いよいよ残り3kmだな、と最後の地図をめくった。しかしどんなに走っても
両津らしき町は見えて来ない。おなかも空いた。疲労感以外に何か活力に欠けてきた。そうだ、糖分が不足しているのだ。そもそも身体の半分は糖分で
出来ていると思われる程の甘党の私がこの旅で口にした甘いものといえば、クリームパンと笹団子1個とアメ3個しかない。いつものウルトラに比較すると
その摂取量は断然に少ない。塩分補給も重要だが私には糖分も必要だ。しかし店はない。さっき店らしき構えはあったが残りわずかだと思い素通りした。
標識が見えてきた。ライトで照らすと「両津港10km」と書いてある。目を疑った。「うっそう!!」なんでまだ10kmもあるの?一気に気力が萎えた。
狐につままれた気分だった。もう道に迷う心配のなくなった安心感で慎重さに欠けていた上に、そもそも時速6〜7kmでしか移動してないのに、
地図を読む目はkm7分を切る速さで追っている。そんなに速く走れている訳ないじゃないか。ため息をつく。自販機を発見。砂糖たっぷりのコーヒーを飲む。
気を取り直して走った。4〜5kmは走ったつもりだったが次の標識は「両津港8km」だった。再びショックを受けたが現実は素直に受け止めなければならない。
見れば、遥か右前方の海の向こうに防波堤のように長く延びた光の帯。その一番奥が両津港だと思われる。まだまだ遠い。後はあせらず進むしかない。
風が少し冷たくなってきた。気合を入れるため自販機でコーヒーをもう1本飲み、今度こそ残り3kmと自分に言い聞かせる。

 ようやくそれらしき雰囲気の町に入った。見覚えのある建物が見えてきた。宿泊所の佐渡シーサイドホテルだ。1人のランナーが、ゴールして戻って来た
のか中に入って行くのが見えた。さぁここから1.5kmでゴールだ。1km直進して信号を右へ、すぐ左に曲がって後は400mだ。おんでこドームが見えてきた。
スタッフの鈴木さんがカメラを構えて迎えてくれた。19時52分。37時間52分の旅の幕切れだ。

 ドームの中では、ブロックの上で寝ていたランナーとその少し前にゴールした小川さんがバスを待っていた。3人で迎えのバスに乗りホテルに戻った。
部屋に戻った安心感からか疲れがどっと出た。このままお風呂に入ったら貧血でも起こしそうだったので、しばらく横になった。人心地ついてから入浴し、
トン汁を頂いた。布団に入っても疲れすぎてか寝付かれず、朝までただ身を横たえていた。  9月18日(月) 深夜に何人か同室の人が帰って来た。
朝6時ごろ、港まで歩いてみる。筋肉痛がひどい。お腹が空いた。打ち上げまではまだしばらくある。ホテルの広間にはおにぎりが用意してあったが、
おにぎりは少々食べ飽きた。佐渡汽船の食堂でラーメンを食べた。

  9時30分から打ち上げが始まった。増井さんも大川さんも初めての200km超をみごと完走した。ウルトラの更なる深みにはまるだろう。
その後宿のバスで送られて船に乗る。船の心地よい揺れの中ではじめて爆睡した。

総評に戻る
  

トップページに戻る